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えびすレポート2004.No4(平成16年5月〜平成16年6月 )

6月定例議会 一般質問(16.6.11)

<前 文>
 私がこの壇上に立つのは、これが最後であります。
 私がこの度、県議会を去るということで、所属同僚議員のご配慮により、一般質問のトップバッターを務めさせていただきました。
 皆様に心から厚く御礼申しあげます。

 県議会議員になって初めての一般質問をしたのは昭和50年6月27日。
 持ち時間は20分でしたが、国道156号と304号線、森林組合の育成と青少 年の社会教育について、緊張して目の前が暗くなり、早口でしゃべり、15分で終えたことを覚えています。

 家族を含めて、城端からも傍聴者が来ておられました。
 あれから29年、あっという間の県議会議員の生活でありました。
 私が初当選した昭和50年の県予算は、約1千6百億円で、オイルショックの煽りで、単年度で2億1千万円の赤字が出ておりました。当時の中田知事は、
「16万円の給料で、200円の赤字だから、少し節約すれば大丈夫だ。」
と言われたのを憶えております。
 しかし、その後、三、四年の間に、ドルショックが次々と来て、中小企業金融対策に明け暮れたものでした。

 昭和53年、第1回日中友好の翼が飛び、それが富山県日中友好団体連合会のスタートのきっかけになりました。
 そして、中沖知事の誕生、56豪雪、五箇山トンネルの開通、富山空港のジェット化、特定重要港湾の指定、日の丸・君が代の意見書の論争、ジャパンエキスポ、北陸新幹線や高速道路開設に向けた長期にわたる厳しい運動、三つの日本一への挑戦、緑化フェア、2000年とやま国体、そして、最近の市町村合併まで、思い出は尽きません。

 また、昭和61年に、東砺波郡と下新川郡の選挙区定数を一名ずつ減らし、黒部市と富山市に一名ずつ増やしたこと。
 さらに6年前、飛び地解消の課題を抱えていたなか、小矢部市・西砺波郡選挙区をつくり、氷見市とともに、それぞれ定数一名減にし、全体で45名の定数としたこと。

 当時は、自民党政調会長や幹事長をしていただけに、本当に苦しい、厳しい毎日であったことを忘れることはできません。

 政治家としての私を、ここまで育てていただいたのは、この富山県議会であり、皆様方であります。  その感謝の意を込めて、最後の質問に入らせていただきます。

<ダム事業>
 最初は、「ダムに対する評価」についてであります。
 昨今のダム建設事業に対する世論は、田中長野県知事の発言以来、無駄な公共投資・大型開発の象徴のように論ぜられ、経済性の観点から本県でも、これまで7つのダムの中止・休止を検討し、決定してきたところであります。
 しかしながら、洪水を防ぎ、水が豊富な時には水を貯めて水不足の時に補給するダムは、我が国の国土条件の下では有効な河川整備手法の一つであります。
 特に、急峻河川が多く水の豊かな本県にとって、県民の生命と財産を守ることはもちろん、水源を確保し、水を総合的に利用する面からも、ダム建設事業は重要な役割を果たしております。
 さらに、近年、ダムによる水力発電は、クリーンかつ再生可能なエネルギーとして、地球温暖化防止の観点からも見直されております。

 ダムによる全国の水力発電量は、年間約9,500メガワットで、原油消費量で換算すると、約2,200万立米、甲子園球場の約37個分に相当します。
 具体的に、富山県の境川ダムだけを例に上げると、年間発生電力量は6,760万kw/hで、これを平均発熱量で原油に換算すると、1,592万リットル、ドラム缶で約8万本に相当します。このことは、庄川に、境川ダムだけで、1時間に約10本のドラム缶が流れているのと同じであります。
 また、有峰ダムについて申しあげると、年間発生電力量は、9億8千万kw/hで、 原油に換算すると2億3千万リットル、ドラム缶で115万本にもなります。このことは、常願寺川に有峰ダムだけで1時間で約130本のドラム缶が流れていることになるのです。

 ダムを造ることは、クリーンなエネルギーをつくることなのであります。
 単に大型公共事業であることをもって、ダム事業の全てを否定することについては、再考すべきであります。

 富山県は、かつて、災害の県でありましたが、明治後期、密田孝吉氏が、大久保用水の段丘崖の落差に着目して、金岡又左衛門氏の支援を得て、水力発電を生みました。
 将に、薬学の科学の目と財力が電力を作ったと申しても過言ではありません。

 それから、山田昌作氏などの努力で、その後の県内の水力発電の展開が進められ、破格の料金設定は、当時の先端を行く大企業の工場を富山県に林立させることになりました。
 大正6年の日本鋼管富山電気製鉄所を始め、大工場が続々と創設されました。
 この結果、昭和初期までに、鉄道の駅ごとに大工場が鎮座し、さらに、伏木、岩瀬に工場が集積する状況が生まれました。
 当時の地方の県としては、空前絶後と言っていいほどの状況だったのであります。
 そこで、治水、利水のほかクリーンエネルギーの確保といったメリットの大きい、こうした、ダムの持つ多面的な役割、効果をどのように評価するのか、富山県発展の歴史を振り返り、災いを福に転じた先人の功績に思いをはせ、中沖知事のお考えをお伺いしたいのであります。

<中山間地域>
 次に「中山間地域の振興」についてであります。
 水と緑があふれる美しい中山間地域は、農業生産を担うだけでなく、森林の整備・保全を通じ、国土の保全、水源のかん養など、多面的な機能を発揮しており、全国民の生活基盤を守る重要な役割を果たしております。
 しかしながら、これまで都市への人口流出により、過疎化、高齢化、担い手の脆弱化が進行し、深刻な事態が到来しています。
 この中山間地域が疲弊し、本当に荒れ始めたなら、必ず都市に被害が及ぶことに なります。
 昭和44年に制定した「富山県山村地域工業振興条例」では、工業に限定してでありますが、設備を新設・増設した場合、3年間、事業税相当額の奨励金交付を、また、その設備に係る家屋や土地の取得に対して不動産取得税相当額の奨励金交付を定めております。
 さらに、市町村が固定資産税の課税免除等を講じた場合や奨励金を交付した場合、県は、当該市町村の財政力指数に応じて補助することとしております。

 中山間地域にも地場産業があり、働く場所があります。これらの企業が地域の雇用を守っており、そのことが、集落を守っているのであります。
 そこで、この「県山村地域工業振興条例」について、現行の補助対象期間の延長や対象業種の拡大などの見直しを行い、中山間地域への企業の立地を促進すべきと思いますが、室谷商工労働部長に伺いたいのであります。

 さて、中山間地域が生き生きとして、中山間地域たり得るには、中山間地域の保護という守りの姿勢から、攻めに打って出るべきであります。
 守りに入ると必ずじり貧になるのであります。
 これまでも中山間地域では、市町村等が農林水産にかかる補助制度などを活用し、交流・活性化施設を整備してきましたが、残念ながら、過疎が止まったとは言い難い状況にあります。
 それは、交流人口を増やすという点では、一定の効果があったものの、必ずしも雇用の場の拡大につながらなかったのではないかと考えるのであります。
 雇用につながる施設を自治体が整備し、さらに事業を興し、その後の運営は民間会社に任せるという、公設民営、上下分離方式の形が望ましいのではないかと考えるのであります。
 そこで、中山間地域の活性化を図るため、地域特産物の加工・販売施設など雇用の確保・拡大につながる施設などに対しては、支援を充実すべきではないか、筧農林水産部長に伺いたいのであります。

 また、各市町村には、料金収入を得る多様な形態の施設がありますが、今後、市町村合併を契機として、施設の見直しなどが予想されます。
 その存続は、中山間地域において重要な意味を持つことから、この際、あらゆる知恵を出して、施設の維持と運営を行っていかなければなりません。
 このことを齋田経営企画部長は、どのようにお考えか伺いたいのであります。

<県営スキー場>
 次に「県営スキー場」についてであります。
 先の建設企業常任委員会で、平成15年度公営企業会計決算についての報告がありましたが、スキー場事業の営業損は1億3千4百万円、累積欠損は29億8千万 円にのぼっております。
 平成15年度に、「県営スキー場のあり方検討委員会」から経営形態の見直しについて、提言を受けておりますが、その改革の歩みを早めなければなりません。
 和歌山県では、本年度中に企業局を廃止する方向で検討を始めたと聞いております。
 その内容は、民間と競合する分野は廃止。民間で運営可能な部分は積極的に委託。県の事業として残すものは、知事部局に移管するというものであります。
 「あり方検討委員会」では、「上下分離方式を軸に経営を見直すべき」としており、今年度は、企業局においてその具体策を検討することとなりますが、景気の低迷やレジャーの多様化などにより、仮に上下分離しても、スキー場の経営は厳しいものがあろうかと考えます。
 しかし、立山山麓一帯は、富山の大きな魅力の発信地であります。
 何としてでも、スキー場の廃止は避けなければなりません。そこで私は、「上部」の経営は、純粋に冬季のスキー場経営だけに絞り、他のシーズンは県民公園として管理するというように、分けて考えるべきではないかと思うの であります。
 そうすれば、経営に乗り出す民間会社も出てくるのではないかと考えるのでありますが、知事にお伺いしたいのであります。

<教育問題>
 次は、「人間力を高める教育の再生」についてであります。
 すべての基礎は教育であり、子供達に新世紀を力強く生き抜く力を身につけさせるために、人間力向上のための教育が重要であります。
 そのための教育の仕組みと内容のたゆまない検討と改革があってこそ、国の発展があるのであります。
 今、学校内外での社会奉仕体験活動をはじめ、多様な体験活動の機会を子供達に提供していくことが求められております。
 平成10年度に、当時の文部省が実施した「子どもの体験活動等に関するアンケート調査」によれば、生活体験・自然体験が豊富な子供や、また、よくお手伝いをする子供ほど、道徳感・正義感が身に付いている傾向にあることが明らかになっております。
 自然での体験が子供の創造力をも培うのでありますが、子供たちが日常的に自然に触れる機会、自然にとけ込む機会は急速に減っております。

 私は、県議会議員になるまでの長い間、ボーイスカウトの現場に携わっておりました。テントの中で延べ200泊、キャンプで300日ほどを過ごしました。
 炊事場をつくる、火をおこす、空や星や月を見る、鳥が高く飛ぶか、低く飛ぶかで天気を予想し、鳥の鳴き声が明るいかどうかで、危険の予知ができるものです。
 こうした自然との関わり合いが、感謝の心や敬虔な心というものを培ってくれたと考えております。  私には、スカウティングの班制度と進級制度、技能章制度によって、子供たちに教えるよりも、教えられることが多かったという思いがあり、まさしく生涯学習でありました。
 そこで第一に、二年、ないし三年間の計画を立てて、ボーイスカウトやガールスカウトの活動を中学校や高校のクラブ活動として位置付けていくこと。
 教師自身が、スカウティングを勉強して運動の中に入り込み、ボーイスカウトやガールスカウトの連盟と協力し、児童・生徒が参加しやすくすることを具体的に検討すべきと考えるのであります。  ボーイスカウトの子供達が、スポーツ少年団の子供達が、全て良い子供なのだと いう言うのではありません。彼等は自分でそのチャンスをつかまねばなりません。そのチャンスを出来るだけ多く提供するのが、我々のつとめです。

 子供の社会性を育み、自立を促し、人間性豊かな日本人を育成する上で、学校、家庭、地域が連携して、努力をする必要は、もう時を待つことができないのではないでしょうか。積極的に行動を起こされることを期待し、お伺いします。

 第二に、「総合的な学習の時間」等における、身近な自然環境を生かした体験活動や、モデル事業として自然体験や長期宿泊体験などに取り組まれていますが、先ほどの中山間地域の関連で言えば、小学生には農業体験、中・高校生には林業の下刈りなどを経験させる機会を増やすべきと思うのであります。  福岡教育長にお伺いしたいのであります。

<大学問題>
 最後は、「県内大学の県内産業の振興への寄与」についてであります。この4月から県内国立三大学も国立大学法人となり、今後、一年後に一つの大学に編・統合されます。
 そして、法人制度のメリットを最大限に活用し、それぞれの個性を生かした工夫と取組みが期待されています。
 大学運営組織として、大学の経営に関する重要事項を審議する「経営協議会」が設けられましたが、副知事は、三大学全ての経営協議会委員を務められ、県立大学と同様、直接県の考えを反映させることが可能となりました。
 将来、大学の特徴ある発展は、県内産業の発展と密接な関連があると信じます。 
 今後、県は、県内産業の振興のために、例えば、どのような研究分野に力を入れるべきかということについて、口も出し、しっかり支援もしていくべきであります。

 江戸時代に、日本を代表するユニークな産業の一つである、越中売薬が生まれました。
 先用後利と呼ばれる仕組みを生み出しましたが、このようなオリジナルなビジネスはそうあるものではありません。
 薬業は、今日の富山県の基礎をつくったと言っても過言ではありません。
 また、薬業は、薬を入れる容器の製造、パッケージの印刷、薬製造の金型など関連産業が多く、裾野の広い産業と言えます。
 私は、県内産業の振興という点で、やはり、ものづくり、すなわち工学と、豊かな水を長所としたIT分野、本県の地場産業とも言うべき薬学、それを基礎に展開るバイオが重要であると考えるのであります。
 そこで、県内の大学が県内産業の振興に寄与するよう、県は、各大学に積極的に提言や支援を行うべきであると考えますがどうか、
 大永副知事に伺いたいのであります。
<後文>
 さて、これまでの富山県の歩みを思うと、薬、水力発電、アルミを中心とした日本海側屈指の工業集積があり、そして、高校卒業者の県内就職率の高さが、愛知、大阪、東京の三都府県に次ぐという状況が最近まで続いております。

 また、雪深い本県に、古くから水田が発達したのは、雪を米づくりの障害としてではなく、稲が育つ暑い夏に十分な水を供給してくれる資源として活用したからであります。
 越中の人は、十二貫野用水や舟倉用水をつくり、川から水を引くことが困難な高 い台地にまで水を通し、多くの大地をことごとく水田化しました。
 また、射水郷の乾田化、砺波平野の流水客土事業などを進め、立派な農地を作ってきました。このことは、全国的にも稀であります。

 これらは、先人がつくりだした遺産であります。
 オンリーワンの県づくりを進める本県において、私は、先人の努力にならい、芸術・文化を含めての多様な価値のさらなる創造こそ、今の富山の緊急課題であると思うのであります。
 知事はじめ、県当局におかれましては、県政の将来を見据えた適切な対応をお願 いするものであります。

 最後に、富山県の限りない発展と、中沖知事をはじめ、皆様方の今後ますますのご活躍をお祈り申しあげ、私の質問を終わります。


■辞職あいさつ(16.6.11)

 本日、一身上の都合によりまして議員の辞職願を提出しましたところ、ただ今、お認めいただきまして、
 厚く御礼を申し上げます。

 昭和五十年四月に県議会議員に当選してから二九年余にわたりまして、先輩並びに同僚議員の皆様方、知事はじめ執行部、行政委員会の皆様方、また報道機関の皆様方には、大変温かいご指導、ご厚情を賜りまして誠に、ありがとうございました。
 今、たくさんの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡っています。

 最初、江西さんが議席五番、私が六番。
 そして江西さんから、『県議になっていろんな立場の人と会っても、自分より年輩の人には必ず「さん」をつけて呼ぶもんだぞ』と言われたのを憶えています。
  時々、そのことを思い出し、有難かったと思っています。

 高平公友先生、玉生先生から大きな目玉とともに大激励を受けたこと。
 中沖知事の誕生、吉田実先生の死去に伴う沖先生の出馬、鹿熊先生と消費税の選挙、片岡先生の引退とその後の綿貫先生の選挙、永田先生の登場、新しい選挙制度による第三選挙区支部の作り方、住先生と長勢先生の住み分け、宮腰先生の選挙、それぞれに大切な思い出ばかりです。

 厳しい議会論争のあと、次の朝、知事さんや今は亡き馬瀬清亮さんから労いの電話をいただいたことも嬉しい思い出です。
 平成三年、四七票満票で議長にならさせていただいたことも、私の大きな感動と名誉でありました。  

 上銘先生、高野由郎先生、笹島先生、川田先生、島田先生、高見先生、松村先生、筱岡六郎先生、小倉先生、森田徳政先生、西浦先生、藤沢毅先生、大坪先生、西崎先生、吉田清治先生など、亡くなられた方や、お元気な先輩方からも、その時その時に、本当に温かい思いやりのある言葉と心をかけていただきました。

 お陰様で、一歩一歩、成長することが出来たと思っております。
 この感謝の気持ちを持って、ご恩に報いるために、新しい政治の道を求めて、富山県の発展のために、懸命に精進いたします。
 最後になりますが、何とぞ今後とも、先輩並びに同僚議員の皆様方、知事はじめ執行部、行政委員会の皆様方、報道機関の皆様方には、これまでと変わらぬ御交誼と御指導、御鞭撻を賜りますよう心からお願いを申し上げますとともに、限りない富山県勢発展のために、御健勝で、より一層御活躍されますことを心からお祈り申し上げます。

 そして、高い壇上からではありますが、長い間、八期、八回の選挙、二九年間もお支えをいただきました地元をはじめとする郡内外の皆様方に心から御礼を申し上げ、私の辞任のあいさつとさせていただきます。

 皆様、本当にありがとうございました。

   

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