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活動状況

かわい常則ホームページでは、かわい常則の活動をえびすレポートとして提供してい ます。
過去のえびすレポートのバックナンバーもあわせて掲載せていただいております。

えびす様
2008.No2
(平成20年3月〜4月)
2008.No1
(平成20年3月)
2007.No12
(平成19年12月)
2007.No11
(平成19年12月)
2007.No10
(平成19年11月)
2007.No9
(平成19年10月)
2007.No8
(平成19年9月〜10月)
2007.No7
(平成19年8月)
2007.No6
(平成19年7月)
2007.No5
(平成19年6月〜7月)
2007.No4
(平成19年5月)
2007.No3
(平成19年3月)
2007.No2
(平成19年2月〜3月)
2007.No1
(平成19年2月)
2006.No9
(平成18年12月)
2006.No8
(平成18年11月〜12月)
2006.No7
(平成18年11月)
2006.No6
(平成18年9月)
2006.No5
(平成18年8月〜9月)
2006.No4
(平成18年6月〜7月)
2006.No3
(平成18年4月)
2006.No2
(平成18年2月〜3月)
2006.No1
(平成18年1月)
2005.No7
(平成17年11月)
2005.No6
(平成17年8月〜10月)
2005.No5
(平成17年7月27日)
2005.No4
(平成17年5月〜6月)
2005.No3
(平成17年3月〜4月)
2005.No2
(平成17年1月〜3月)
2005.No1
(平成17年1月)
2004.No.9
(平成16年12月)
2004.No.8
(平成16年12月)
2004.No.7
(平成16年11月)
2004.No.6
(平成16年9月〜平成16年11月)
2004.No.5
(平成16年6月〜平成16年7月)
2004.No.4
(平成16年5月〜平成16年6月)
2004.No.3
(平成16年3月〜平成16年4月)
2004.No.2
(平成16年1月〜平成16年2月)
バックナンバー
No.11
(平成15年2月〜平成15年11月)
No.10
(平成14年12月〜平成15年2月)
No.9
(平成14年7月〜平成14年12月)
No.8
(平成14年2月〜平成14年6月)
No.7
(平成13年2月〜平成13年11月)
えびすレポート2004.No1(平成15年11月〜平成15年12月 )

■参議院選への決意 (H15・12・24)

 今日は第三選挙区三支部協議会の幹事長、副幹事長会議の後、19市町村支部の事務局長にお集まりいただき組織拡大交付金をお渡しした。
 席上、この一週間の間にいろいろな状況の推移があり、私が来夏の参議院選に、自民党公認の候補予定者になった事をご報告した。
 このため三支部協議会の幹事長の任務は当面、代行として上田信雅副幹事長につとめてもらう事になった事を了解していただいた。
  12月19日は中国雲南省西双版納自治区へ、県と平村と上平村と日中雲南友好文化協会のメンバーで、将来の友好交流の可能性について、調査協議のため出張をしていた。そこへ午後3時頃、視察の最中に国際携帯電話が同行している県の後谷次長の所へ入った。
 「12月21日朝10時までに東京で会合するので、必ず出席するようにとの長勢県連会長の話を竹内幹事長からの伝言です」と言う。 
  早速、帰路の切符の手配を外事弁公室の人にしてもらって、20日朝昆明市から香港へ南下して、成田へ向かう事とした。 21日朝、東京で長勢会長と会い意見取りまとめの話を聞いた。国会議員の先生方、県連三役の方と同席の上で、「河合に決めた」と言われた。
 一瞬、この八月から今日までの候補者選考のいろいろな事を考えると、私心を捨てようと思った。決意した。
 早速家内や息子夫婦に話をしなければならん。連合後援会長の岩田町長、常友会長の川田哲三氏にも、何も言ってないから話をしなければならんと思った。 これから大変な事になる。日常生活が変わる。言い訳は出来ないが、綿貫先生と話をしたいと思った。
 12月22日朝8時、僕の携帯電話に綿貫先生から電話が入った。 「俺も昨日の国会議員の会合に出ていて君に会えなかったが話は聞いてわかっている。身体に気をつけて頑張れよ。任せとけ。しっかりやったるよ。ただ、慌てずに、階段を一段一段しっかり踏みしめて上がるようにしろよ。」 「ありがとうございます。一生懸命頑張ります。」 僕の欠点をよく知っておられると思った。 安心すると同時に嬉しい一言でした。


■エジプトを旅して (H15・12・2)

 今日から12月議会が始まった。昨日、エジプトから帰ったばかり。
  エジプト国カイロ市の元県警本部長であった浦部大使からのお誘いもあり、衆議院選が終わってから岡部昇栄前砺波市長、渡辺辰男前県議と仲県議と奥様と小生夫婦の6名で、11月24日から12月1日までの8日間、カイロとナイル河上流を旅してきました。 驚きと感じた事を2点だけ。
・ 明治維新前に日本の江戸幕府は三十数名のヨーロッパ親善団を出し道中でその方々はカイロ訪問している事。そして当時エジプトのカイロ市を自分の傘下に入れようとしている、イギリスとフランスの激しい覇権争いを目の前にして、日本の将来を痛く感じて帰国した事。彼等がチョンマゲで刀をさして、羽織袴でスフィンクスの前で写真を写している事。その2年後には福澤諭吉も来た事。 日本人はすごい民族だと思った。あの人達のお陰で今日の日本があるのだとさえ思える。
・通訳はエドと言うカイロ大学日本語科を卒業し、一時日本大使館でアルバイトもした事のある日本通のガイドでした。しかし民族というか宗教・信仰心の違いは大変なもので、イラクのフセインの事、9月11日のテロに関するオサマビンラディンの事になると「あれはユダヤの仕業でイスラム教のシーア派やスンニー派の事ではない」「その証拠に9/11のテロではユダヤは一人も犠牲になっていないではないか。フセインもオサマビンラディンも絶対に捕まらないよ」と言う。こんな事を信じている中近東の人はどうなっているのだろうと思った。(この時は未だフセインは捕まっていない。) 浦部大使によると、この地帯の人達は、東西文化の交流の長い歴史の間で、その拠点として発展して来たので、人の裏ばかり考える、そのまた裏も考える癖がついてしまっているのではないかと思われると言われました。
  いやはや、イラクの事も、テロの事も、中近東の安定の事もなかなか大変だなあと思いました。日本のように多神教でなく、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も排他的な一神教だから、なかなか妥協点、「程ほど」という所、バランス感覚での決着がつきにくい所があるのではないか困ったものだと思いました。


■福光町と中国紹興市友好市町締結20周年記念式典( H・15・11・22)

  今朝一便で東京出張から帰り、福光町と紹興市の姉妹都市締結20周年の式典に出席しました。
  簡潔な、さわやかな式典でした。 21年前の昭和56年10月13日から10月22日までの10日間、松村謙三顕彰会で、この姉妹都市締結を大きな目標として、52名の団員と共に故上田豊信団長の下で、副団長兼秘書長として紹興市を訪問した事をしみじみと想い出しました。
 あの時は、松村顕彰会結成10年を記念して、50名以上の大デレゲーションにする事。顕彰会会長の上田豊信氏(現上田県議の父上)を団長とする事。砺波地方一円から首長、議長、経済界の有力者、文化人にも参加して貰う事。この第7次の顕彰会の訪中団で、来年の福光町合併30年式典の記念行事の実施を確実なものにしたい事。その為には中日友好協会会長の人民代表大会副会長の廖承志先生にお会いして、力添えをいただく事などが、あの訪問団に課せられた仕事でした。
 次の年、その締結も出来、ホッとした事を憶えています。 あの時の上田豊信団長と廖承志先生の会談の中味もお二人のお人柄と松村先生への敬愛と尊敬の情が溢れていて良い、中身の濃いものであったと想いだしています。
 事務長をされた当時の収入役の森田氏のご努力も影近氏、井幡氏のご活躍も大変だったなあと思っています。 いい式典でした。今後益々の両市町のご発展をお祈りします。

昭和56年第7次松村顕彰会訪中団、慶承志先生と会談 人民大会堂にて

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