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■えびすレポート2007.No8(平成19年9月〜10月)
■瀬島龍三先生の葬儀(H19.10.17)
9月4日 95歳で亡くなられた瀬島龍三先生のお葬式が、伊藤忠商事と亜細亜大学の学園の合同葬として東京築地本願寺で1時から行われました。
今日は参議院の予算委員会三日目で、テレビ放映はないけれど総理出席のもとで開催中でしたが、一時間ばかり国対委に代理を立てて貰って、お参りをしました。
12時から、参議院の政審会の各部会の法案説明会が行催され総務部会の説明担当は12時10分から約10分間なので、司会は私がし、二之湯政務官が説明をして、皆に了承して貰って直ぐ着換えをして、車で会場へ向いました。10分前に着けました。
既に、綿貫先生もその二列後に長勢先生も着席して居られ私は長勢先生の隣にすわりました。中曽根元総理をはじめ歴代首相も参列して居られました。石澤義文商工会連合会会長や岡部昇栄前砺波市長も居られ、その他沢山の県関係の方が居られたと思います。
富山県出身者で、日本の進路決定などに大きな力を発揮された瀬島龍三さんの偉大さをあらためて感じさせる雰囲気でした。
私は、平成三年五月県議会議長に就任してまもなく、小矢部市選出の沼田仁義副議長と青山の伊藤忠(株)本社へ当時既に特別顧問であった瀬島先生にご指導をお願いする為にもご挨拶に伺った時、昔の事をいろいろ記憶して居られて、城端の立野原の陸軍の演習地の事、その時食べた堅いお菓子「がやまめ」の事、砺波中学の時「河合」という名の同級生が居た事、「その人は僕の叔父さんです」といったら「そうか、そうか、君とは1世代違うな」と言われた事など、更に新幹線の事、中沖県政の事など三十分程話をしていただいた事がありました。
更に、その直後、砺波のCATVの事で、当時TST社の会長の砺波市長の岡部昇栄さんと、社長の私とで、開発銀行の融資の保証人を伊藤忠商事に引き受けて貰い且つ、保証料を安くしてもらいに伺って、「@君達はCATVの会社を運営する時は市長も県議も自分の選挙をするように加入者を募集しなさい。A現在日本で第三セクターの会社は約3000社で、黒字1/3、トントン1/3、赤字1/3社あるので、いいかげんな事をしていると、自治体の財政に大きな禍根と負担を強いる事になるから、心してやりなさい。B保証料は既に取締役会で快定している事だけれど郷里の事だからあらためて協力してみる」と言っていただいて富山へ帰ってきたら、年間120万円助かったものでした。ありがとうございました。
その他に、綿貫先生の選挙の応援に来られた事、私が参議選に出馬する時の応援とご支持とご教示。富龍会の時に「CATVの会社は君、立派に黒字にしたネ」と褒めていただいた事。一言一言、記憶に残る存在感のある人でした。
ありがとうございました。
お葬式にお参り出来て、本当に良かったと思いました。
■臨時国会(H19.10.14)
総裁選挙も終り、党員、所属国会議員の絶妙なバランス感覚と日本を想う気持ちが表われて、福田康夫新総裁そして、新総理が、9月25日に誕生しました。
10月1日に総理の所信表明があり、3日と4日に衆議院で代表質問、4日と5日に参議院で代表質問が行われました。
この数日間の党内のやりとりと本会議場での総理の答弁を聞いていると、福田総理は本当に丁寧に、質問者、相手の立場に立った配慮をして、答えて居られて、ソフトな姿勢がやさしい人柄が良くわかり、数年前の国会のやりとりと大きな違いを雰囲気としても感じる事が出来ると思っています。
イラク特措法が大きな課題ですが、何とかならないものかと案じています。アフガニスタンのテロ対策の他に日本のシーレーン、油、エネルギーの確保が危くなって来るのでないか、とさえ思っています。これを政治の道具にしてはならないのだと思っていますが。
今度の参議選の敗北で、自民党の参議院のメンバーが少なかったからか、僕のポストも沢山になって、政務官を終えたら少しは時間的余裕があるかと思ったら、案に相違して、忙しくなりました。
参議院では総務委員会筆頭理事。委員長は民主党なので、党内委員の調整、法案の扱い方の野党との交渉などが仕事の前提となっています。
党内では参議員選出6名の内の1名の「党総務」総務会は党内の意思決定機関。政調会では「総務部会長代理」総務部会は、総務省関係の政策担当部会。
参議院自民党では政策審議会の総務部会長をつとめさせられています。
多忙にはなりましたが、ウイークデイに毎朝党本部で開催される部会等には特別な事がない限りは「過疎対策」「山村振興」「水田農業」「中心市街地」「青少年」「文化財」「スポーツ」「地方財政」「地方交通」「治山治水」などの地元に身近な政調部会、議員連盟に出席して、地方がよくなるように頑張りたいと思っています。
今日は午前中富山県寿野球の決勝大会と創校60周年の為城端中学校同窓会役員会、午後は全国女性消防隊操法大会出場チームの模範演技、激励会のあと、利賀村での議会OB会での一時間の講演を済ませて明日夕方上京する予定。いよいよ忙しくなるなあ。
■ボーイスカウトの祝辞(H19.9.30)
城端町にボーイスカウトが出来て50年が経ち、現在の育成会、団委員、指導者の方々が主催して計画し、実施して、記念式典と行事、パーティーが行われました。
記念誌には初代隊長の川田哲三氏や松嶋直三氏と共に祝辞を載せて貰いましたが、当日、今日の式典に参議院議員として、祝辞を依頼され、市長の先に登壇しました。本来は昨年までは県連盟の副連盟長でしたが、総務大臣政務官の時に辞めさせていただきましたので、外部の人間の一人として話をする立場だったようでした。
ところが、です。マイクの前に立つと、この50年間ドップリとボーイスカウトにひたり浸って来た毎日を考えると、仲間の一人としての話しか出来ず、しかもよくもまあ50年間皆で、この富山県の山麓の南砺の一角にスカウティングが続いて来たものだと思うと胸がつまり、仲間に入れていただいた感謝の気持ちと「ちかい」と「おきて」の人生、生活規範と、キャンプの体験から自然への関心、宗教への興味、関心を持てた喜びと、先輩、仲間、子供達から学ばせていただいた幸せを話しするのにいっぱい一杯でした。
ボーイスカウトの創始者、べーテン-パウエル卿は今から丁度100年前にイギリスのブラウンシ一島で少年達を集めて実験キャンプをしました。それがスカウト運動の始まりです。
当時のイギリスは不況で、すさんだ雰囲気が街の中にあり、沢山の子供達が学校にも行かず街中でタバコを喫っているような状況だったと言われています。そのべーテン-パウエル卿が、スカウト達に最後のメッセージとして残した言葉に有名なものがあります。
「幸福を得るほんとうの道は、ほかの人を幸福にする事にある。この世の中を、君が受け継いだ時より、少しでもよくしてあとに残すように努力したなら、死ぬ時が来ても。とにかく自分は一生をむだにしないで最善を尽くしたのだという満足感で、幸福に人生を送り、幸福に死ぬことが出来る」云々です。
アメリカ連盟の「隊長ハンドブック」に「指導者をたたえる詩」E・アルバート・ゲストの「君に給与はなく君は無報酬で働く/ともに山野を踏み歩く少年らには/君に謝礼を払う力はないが/黄金をあえぎ求める者よりも/はるかに君は豊かなものを君は受けとるだろう。//なぜなら君の奉仕はさまざまに語り伝えられるからだ/君はそれを育ちゆくスカウトの顔に/そしてまた幾多の雄々しき歓喜の中に読みとるだろう/さらに遠き将来にわたり人々の奉仕の中に/誉め称えるのを見るだろう/友情あつきスカウト達とともに/よろこび働く苦労の5年/・・・・・」
この詩も我々に感じさせるものがあります。
式典時の祝辞の最後に勇気を出し、伴奏なしのアカペラで、おそらく城端のボーイスカウトにしかないであろう「BS城端隊の歌」(作詞山本哲也先生、作曲杉原茂先生、S37年作成)をうたって降壇しました
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