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■えびすレポート2006.No9(平成18年12月)
■大谷大学キャンパスを訪ねて( H18.12.28 ) 一昨日、大谷大学の学長が、南砺市城端町の上見のお寺の住職で昔、長い間、僕達が青年団活動やBS活動をしていた頃の城端町公民館長(現在ならさしずめ社会教育課長か教育次長だろうか)をされていた故木村辰雄氏の息子さんだと言う事を聞いて、お会いして話を聞きにいく事にした。 城端中学校の卒業生で、僕より年下で、誰と同級生なのだろうと思いながら行った。 案に違わず、学長の木村宜彰氏は昭和17年生まれで、今、城端に居る人では公認会計士の高桑俊介氏や老舗のフードセンターの社長藤田豊久氏等と同級生と言う。「河合さん貴方の弟さんの昭義さんとも砺波高校まで一緒でしたよ」と言われ意外に近い所に、凄い人が居られるのだなあと思った。「貴方の事は亡くなった父から良く聞いていましたよ。」と言われて恐縮した。 大谷大学の歴史の事、城端別院の事、井波別院の事、「美の法門」の事、「ご恩の事」、土徳の事、職人技の事、中国とも英語圏とも違う日本の文化、信仰の事、鈴木大拙師、清沢満之師の事、いろんな話が出て時間の経つのを忘れた。 同席された学監・事務局長は氷見出身の藤沢初裕氏で、小生とは15.6年前に何度も会い、貴方の事を良く知っていると言われて、これまた驚いた。 京都の地下鉄の北大路駅で降りて外へ出たらそこが大谷大学キャンパスの北口だったので、守衛さんに聞いてキャンパス内を歩いて本部のある博綜館へ着いた。久しぶりに大学の雰囲気にひたり、慶應の三田を想い出し、一寸、感傷的になった。古い大学はやはり、キャンパスにも落着いた独特のものがあるなあと思った。 明治34年東京での移転開校式をもって創立とし、慶応義塾に次ぐ古い大学といわれているけれど、本当はもっともっと古く、日本の精神文化の一翼を任って発展して来た歴史と誇りのあるものであろうと思ってキャンパスの中を歩いた。 学長は今の木村さんで26代目を数えるが初代は清沢満之、2代目南条文雄と続くので、あらためて、城端町の上見の寺の木村氏は凄いポストに着かれたものだと思った。しかも学部と大学院を含め4300余名学生のいる大学だけでなく、全国にも関係大学、短大が20校、大学院が7校、附属高校が19校、中学6校もあるのにも驚いた。真宗門徒の多いところに根をはっているが、少子化でこれからの運営も大変だと思っていると言われた。 昨年 6 月に出版された『鈴木大拙没後四十年記念展』と『「我が信念」清沢満之のことば』大谷大学発行の冊子と『仏教が生んだ日本語』大谷大学編をいただき、26日夕方東京へ着いた。東京は土砂降り。 城端へ帰って、28日夕方、雪が降って来て、今、上見の寺はどうなって居るんだろうと思って車で前まで行ってみた。電灯の明かりが見えていて、ホッとして帰り、家内に話をしたら、お母さんが居られて、若さん(木村学長)は時々、帰って来られるらしいと言う。良かったなあ、木村辰雄氏が亡くなられてから何年経ったのかなあと思った。 ■予算交渉、大臣折衝について( H18.12.22 ) 今日、いよいよ政府予算原案の最終局面、大臣折衝の日。 今まで、県議として、新幹線の陳情や予算獲得の運動の時、大蔵省の控室や、廊下で担当大臣激励の為に立ちん坊をした事はあったけど、今年は初めて、大臣のお伴をして、スタッフの一人として、交渉のテーブルに着く事になった。今年の予算は、税収が意外に多くて、而も事前にシーリングがかかっているから、順調に局長折衝、官房長折衝が進んでいたので、今日の話合いはICTの件、一件だけ。十分間で終了。 党から政調会長同席。財務省、総務省の副大臣、政務官、そして次官、主計局長、次長、主計官、担当主査が出席の会議としては、例年の一連の行事の一つかと思った。 これから各省毎の折衝後、明後日、正式に政府原案として、国会に提出されて、審議に入る事になる。 それにしても、経済財政諮問会議の決定、党内各部会での議論を経ているためか、かつての予算編成の熱意のないのは、民主主義の為に、地域振興の為にも、いい事なのか、良くない事なのか考えさせられる。
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