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(平成19年12月)
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(平成19年11月)
2007.No9
(平成19年10月)
2007.No8
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2007.No1
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(平成18年12月)
2006.No8
(平成18年11月〜12月)
2006.No7
(平成18年11月)
2006.No6
(平成18年9月)
2006.No4
(平成18年6月〜7月)
2006.No3
(平成18年4月)
2006.No2
(平成18年2月〜3月)
2006.No1
(平成18年1月)
2005.No7
(平成17年11月)
2005.No6
(平成17年8月〜10月)
2005.No5
(平成17年7月)
2005.No4
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2005.No3
(平成17年3月〜4月)
2005.No2
(平成17年1月〜3月)
2005.No1
(平成17年1月)
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(平成16年12月)
2004.No.8
(平成16年12月)
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バックナンバー
No.11
(平成15年2月〜平成15年11月)
No.10
(平成14年12月〜平成15年2月)
No.9
(平成14年7月〜平成14年12月)
No.8
(平成14年2月〜平成14年6月)
No.7
(平成13年2月〜平成13年11月)
えびすレポート2006.No5(平成18年8月〜9月)
■総裁選挙の投票。(H18.9.21)

 
昨日午後2時から第21代自民党総裁を選ぶ選挙の投票があり、国会議員の投票と、各都道府県連での同時開票結果の発表がありました。
  一昨日は三人の各陣営は決起大会、今日12時からホテル等で出発式があり、各陣営は票固めと票読みにそれを利用しているようでした。
  僕はどちらにも出ず、態々、一昨日でなく昨日朝上京し、午前中に状況把握をしました。
  この二週間いろいろ考えましたが、今日投票後マスコミが必ず結果を聞きに来るので、考え方を整理して置こうと思いました。
  2時からは「麻生太郎氏」に投票しました。
  理由は
@県内自民党国会議員5名の内、僕を除く4名は皆早くから安倍晋三氏に投票すると意思表示をしておられます。県内の党員、県民の世論は全部安倍さんだろうか。一点集中でなく、バランス感覚も要るのでなかろうか。安倍さん以外の人に一票だけでも投票する方がより世論に近くて良いのでなかろうか。
A麻生さんと谷垣さんの内どちらが地域格差の是正に意を用いるのか。どちらが本能的に、先にこの事に気がつかれたのか。麻生さんの言動がよりこの事に気がついて、力が入っておられるのでないか。
B来年の参議院は与党に非常に厳しい結果になるので、綿貫先生が党首の国民新党とも連携を取る事が大切だが、その話合が出来る人は三人の内で麻生さんでないか。
C 県連会長の長勢先生から外遊前に「河合君、安倍さんで頼むよ」と言われたので、「全て判りました。という訳にいかないが、会長の意を受けた行動を取ります。」と答え、一切、私も私の事務所も麻生さんの運動をせず、長勢事務所や野上事務所が安倍さんの運動をされていても、その反対もせず、無言で通しました。ある意味ではなにもせず、その事は安倍さんや長勢会長の立場を大切にした事になったと思います。
D実は政治的な事ではありませんが、麻生太郎さんには2000年とやま国体の時、クレー射撃協会が前年の熊本国体、前々年の神奈川国体の際、運営で失敗した事があり、国体の公式競技からボイコットされかかった時、富山県のクレー射撃協会が言い出して、全国射撃協会の役員全面改選をし、麻生太郎さんに全国の協会の会長に就任をいただくべく運動して、お引受けいただいて、ピンチを逃れて、大会競技が県立福光射撃場で開催出来たものでした。
そんなお世話になった事がありました。
  国会議員の投票場、党本部の8Fホールへ行く時、本部の一階のエレベーターの前で、長勢先生と偶然一緒になりました。「ヨウー。河合君。君は誰に投票するのか判らなくて、皆、読めないと言っていて有名になっているよ。」と言われました。
  本当に、こんな投票は人情がからむと困ってしまって迷うものです。
  安倍晋三さんの弟の岸信夫さんとは同期の友達で、彼はいい男だし、その兄なら人間は間違いないと思うし。谷垣さんの選対本部で懸命に頑張っている二之湯さんとは本当に仲のいい友人だし。三人の候補者とも本人が、態々事務所へ来られたし。各々の陣営から断り切れない先輩から依頼のTELがあったし。本当に困ったものでした。
  そんな昨日でした。
  地元のマスコミ四社と中央マスコミ一社が選挙後、参議院会館の事務所へそれぞれ来られましたので、以上のような事をコメントして、肩の荷を降しました。
  夜、それぞれ苦しい目に会った同期の友人と一緒に食事をして、気持ちを発散解放しました。
  投票の結果はマスコミの予想、各陣営の票読みとは異なり、それぞれの、三者の立場を配慮した「天の配剤」のような464票、136票、102票という意味のあるものになったような気がします。党員の投票率の低さも謙虚に受け止める事が大切だと思いました。


■モンゴル日記 (H18.8.20〜8.26)

8月21日(月)
  午後3時までに成田空港第一ターミナル南ウィング4階出発ロビー「H」カウンターで受付けを済せてから特別待合室「S4」に集合。初め一行15人、途中で不参加の人も出て12人になったとか。それでも大きなデレゲーションとして注目されていると聞いて集まったら、
  矢野、保坂、山内、椎名、北川、水落、西島、山本、秋元の参議院の国対メンバー、と小生そして大出、能登の秘書二名。
  計12名となった。
  4時頃、矢野先生の今年のモンゴル国へ視察に行ったメンバー計80名の内、一番大きなメンバーとしての挨拶があり、ビールで乾杯して、旅の平安を祈る。
  OM502便(モンゴル航空)のゲートは一番奥、17:10に搭乗。なかなか出発しない。ビジネスクラスはガラガラかと思ったら、意外や意外、ダライ・ラマ法王一行がギリギリにご登乗。本人に会えるのも珍しいと言われるラマ教の法王ダライ・ラマと同乗とは。満員。
  なかなか飛行機が動かない。機内の温度が上る。暑い。エンジンの一寸したトラブルとか。ダライ・ラマが乗ってもトラブルかナと囁き合う。
  18:00漸く動き出して、TAKEOFF。読書と機内の映画を観て時間が経つ。
  1時間遅れてSTARTしたが、頑張って予定より20分遅れの22時30分にウランバートルのチンギス・カーン空港に到着。
  空港内の特別接待室で、ダライ・ラマと握手して、矢野団長の挨拶があり写真を撮る。
  市橋大使等大使館の人達も出迎えて下さった。市橋大使はモンゴルの人かと思える程立派な体格の人。
  23時空港START。ホテルに向う。バス。30分でチンギスカンホテル到着。508号室。小泉総理も泊まったホテルとか。
  24時30分荷物到着。シャワーして1時就寝。目覚し時計を7時にセット。

8月22日(火)
  8時30分ホテル発。
  朝食会が日本大使館であるので、シャワーして顔を洗っただけ。
  日本からモンゴル国へ来て仕事をしている日本企業の責任者と意見交換会。10名程の代表者が来て居られて、日本食の朝食(バイキング)をとりながら、各テーブルについて話を聞いた。
  住友商事の中川所長が幹事役で最初に話があり、あと自己紹介をかねて、ご苦労な話やら国への要望等があった。
  なにしろ若い国で日本の明治維新の頃と思えば丁度かと思った。チンギス・カーンの建国から800年というけれど、実際はソ連の傘下で社会主義体制でやって来たが、ソ連のロシア化により、社会主義から民主化になって12〜3年しか経っていないので、法整備もままならず、判例も少なくこれからという感じ。
  でも地下資源が多く、ロシアも中国も地勢的な優位な立場にあるので、モンゴル政府自体は第三の勢力とも上手に連携して、国の発展を期待したいと考えているのでないかと想像される。
  いよいよ日本のODAの真価の問われる所か。と思う。
  しかし一番いいのは人材の育成に協力する事でないかという意見もあった。
  モンゴル国のこの二年間の経済発展は素晴しく二年前10%プラス、昨年6%プラスとチンギス・カーン建国以来、初めて一息ついた所か。
  まだ、銀行のシステムが弱い。司法分野の指導も要る。ウランバートルの一極集中で国会議員の中にも経済発展の筋道を考えていない人も居られるのでないかという話があった。
  10時30分から
  エンフォボルト首相との会談。
  当初30分が一時間の延長。
  ODAの計画の変更、都市計画の変更、空港へのアクセスでの協力の話あり。
  来年の日本との国交35周年を記念して、朝昇龍を含めた大相撲のモンゴル公演の事が、矢野団長の押しの一手で、首相から相撲協会理事長宛に要請状が出されるような状況。
  12時30分、
  ガンボヤング親日友好議連会長等主催の歓迎昼食会。
  当初なかなか食事出来ないという事を聞いていたけれど、聞く程でなく、ウオッカもうまく食べる事が出来た。
  ほろ酔い気分でホテルへ14時20分に帰り、着替えて、郊外のゲル(観光用)へ、ミニ・ラーダムの見学。14:45START。両側に小高い山々があるけれど、見渡すかぎり草原。ウランバートル市内から郊外へ一時間。
  ゲルの内で羊の肉と一緒に煮たジャガイモ、人参や馬乳酒の歓迎。親日国会議員、外務大臣、防衛大臣等7〜8名参加。大歓迎を受けた。モンゴルの相撲を見、子供が乗る競馬を見、弓矢を一度打たせて貰い。乗馬もした。暑いくらいの日差しが強い天気。陽の沈むのは夜9時頃。
  この屋外パーティーの場所を出たのは8時30分、ホテルへ着いたのは10時。星を観ようと言ったけどこの時は曇っていた。残念。

8月23日(水)
  朝7時30分ホテル内の朝食バイキング。洋食のメニュー。フルーツもあり、卵、コーンフレーク、オートミール、牛乳もあり、普通に食事が出来て過しやすいホテルだと思った。
  9時10分、
  エルデネパダール環境大臣と面談。モンゴルの人の姓名は日本人と同じ。姓が先で名前が後。
  地下資源の事、砂漠の植林の事、黄砂の事、・・・・日本の援助を待っているとの話。
  グリーンベルトも地下水脈の事も人材育成に力を貸して欲しいと言っている。
  捕鯨の国際会議では日本を支持したと言っていた。
  10時、
  ルンデージャンツアン副議長との面談。
  地元から、今日の会議の為に急拠帰って来た。
@35周年に扇議長への招請状の事。
Aモビコム社(日本)への苦情と許認可の事。
B経済界との協力の話。があった。
11時15分〜12時15分
  矢野先生が日本のアパレルメーカーのポイント社から新品の衣料品5万点をモンゴルへ寄附して貰い、それを在日モンゴル人留学生に渡し、それを搬送し、一部をガンダン寺が恵まれない人達に無償提供し、残りを売却し、その代金で、学生服や学用品を揃えて、貧困家庭の児童に配布した。その受領、配布式がアムガラン初等中等総合学校で行なわれた。
  なかなか大変な事だと思う。モンゴルでこの世話されたのはハンボルド前通産大臣夫人のNGO。
  出し手と受け手の善意が必要だナ。
  12時半、
  石庭という日本料理店で、日本留学帰国モンゴル人会の招待による昼食会。日本酒も出た。
  皆、若いけれど政府、企業などで相当のポストに着いて居られる。
  14時30分、
  フォーシーズンガーデンズを視察。
  日本の企業が都市計画で街づくりをしている。
  マンション、ショッピングセンター、学校等をウランバートルの郊外で建設中。しかしいろいろと政府要人と地元企業との連携でいやがらせも受けている。役所のコンプライアンスをしっかりして欲しいとの話もあった。
  話は両方から聞かないと判らないものだ。
  16時〜17時
  ゴビ カシミヤ工場の見学。
  かと思ったら、モンゴルカシミヤのショッピングストアーだった。
  安いかも知れない。お土産にマフラー等を米ドルで数枚購入。
  17時30分、ジガルガルサイハン通商大臣との会談。
  3月にモンゴル首相来日の時、800年祭記念の年で小泉総理訪問の事で、日本の施策について、矢野委員長が一役買われたらしい。石炭の発掘について、日本にも最大の便宜を与えて欲しいと要望された。
  石炭を発掘する地域のインフラが出来ていないので協力をたのむ。
  この石炭は世界のエネルギー問題になると考えているので、一民間企業のものでなく国として世界的な立場に立った話合いが必要である。
  近い内に訪日するので矢野先生とも是非お会いしたい。  
  新しい鉱山法について。今月末訪問する経団連のデレゲーションについての協力もされた。
  夕方、7時から、
  我々主催の夕食会が第30番迎賓館で行なわれた。
  モンゴル側20名、在住日本人企業、日系関係者8名、大使館と我々40名程のパーティー。
  モンゴル側は大蔵大臣、労働大臣、建設大臣等。矢野団長は何度かお会いした事のある大臣が居られたようで、初顔の我々とは異なりなかなか大活躍で、司会の椎名先生も大変でした。水落氏は日本のイワシの缶詰めを出して、大喝采でした。
  なごやかに「一本〆」でお開きとなった。

 8月24日(木)
  8時30分にホテルを出て、オユートルゴイにある石炭採掘現場へ向う。
  9時30分、プロペラ機(フォッカー50)でゴビの砂漠を越えて1時間20分かかる。
  アイバンホーマインズというカナダ系の会社が掘っている。日本人も働いていた。
  ここに石炭が60〜80年掘りつづけてもある事が判った。ここまで5〜6年かかった。まだ成果はないが4億ドルかかった。ここに鉱物、銅などがあるのでないかというのは5千年も前に掘った跡があったのでわかった。
  今は従業員3,500人。(キャンプ中)
  盛んになれば15,000人必要。
  11万人の雇用の創出があるであろう。
  地勢上、国際戦略上、対中国、そして今後のインフラ整備の事もあり、資源を単に国外に持ち出して、モンゴルの為にはあまり効果がなく国民感情を逆撫するだけになる可能性もあると思われている向きもある。
  日本は信義の国だから、このプロジェクトに日本が一枚何らかの型でかかわって呉れたらいいのにと思われている様だ。
  まだ石炭層には届いていないが、地下400mの地点まで行ってみた。
  帰りの飛行機で険しい山谷のある茶色いゴビ砂漠を飛びながら地下200m下にある水を汲み上げて緑化が出来ればすごい事になり、モンゴルにとって素晴らしい資源になると思った。
  ゴビの意味は准の意でゴビ砂漠は准砂漠と言う事らしい。
  6時10分にホテルに到着。
  洗面し、スーツに着換えて、首相招待の夕食会へ。50番迎賓館で行なわれた。前日の30番と異なり、立派な館。この建物は旧日本軍が作ったと言われている。流石に美味な素晴らしい料理。日本から醤油を持参したが、全然使用せず。生のバックミュージックもあって月も出ていい夕食会でした。

 8月25日(金)
  第二次世界大戦後、ソ連軍に抑留された日本人の内、約14,000人がウランバートルを中心とするモンゴルへ移送され、約2年間に渡って都市建設に従事させられた。極寒での厳しい労働と食料不足で約1,600名が死亡された。
  17ヶ所のモンゴル地内の日本人墓地に埋葬された。5年前に国はウランバートル郊外のダムバダルジヤ墓地に慰霊碑を建立した。その時水落参議院議員も来たと言う。そこへお参りをした。
  今日はいい天気だけど、異国の丘での生活は大変だったろうと思う。「異国の丘」の歌はここをモデルにして作られたと言われている。
  11時 エンフバヤル大統領と会談。
  大統領は
  政治家の訪問は相互理解に必要で、それは民間交流にもつながる。そして、それは、モンゴルの発展にもどうしても大切なのだ。
矢野団長は
  沢山の国会議員の訪問と歴代政治家の訪問は有効に働くであろう。お互いに信頼感を持って頑張ろう。ゴビ砂漠の地下資源の事、民間企業の活動支援の事、世論も日本を支持するのでないか。
大統領
いろいろなアイディアを有難とう。ロシア、中国の次の隣国を作りたい。アメリカ、EU、日本、韓国の協力を得たい。
  次に空港に向い、13時15分ウランバートルを出、北京に向い。機内食で昼食。あまり、食べられない。
  1時間時差を直し、14時05分北京着。立派な空港になっていて驚いた。
  長い廊下を通って入国手続きをし、バスに乗る。この前北京空港に来たのはいつだったろうか。前の空港のイメージと全く異なり、ビックリした。
  バスに乗って日本大使館に向う。
  車、渋滞。驚き。自転車なし。大使館に着いたのは16時30分頃か。
  以前の北京とは全然違う。
  中国とはいろいろな事があるので宮本大使のブリーフィングを受ける。
@ 中国社会にはこの十年の間に特に生活に格差が出て来て、非常な緊張感が生れた。
A 同世代での格差が問題。この格差の原因は実力、学力でなく、コネ、出身地別でないかと言われている。
B 16,000万人の出稼労働者の存在。官僚の腐敗。特にこの五年間の内がひどい。
C 不平不満の解消の為に官制デモでエネルギーの発散。しかし最近は官制の出来上ったデモで終らない。
デモを治める、止める方向に懸命。
  反日デモを官制で仕組み、止らなくなってそれが反政府デモになる事を恐れている。
  一日でも平穏な経済発展を求めていると思う。
  政府は日本に靖国反対だけを求めて他は全て譲歩し、日本と手を握りたいと思っていると思う。押しても良いが逃げ道を作って置く。
  何故9.5%の成長を続けているか。スケールの大きさの違いであろう。日本の11倍の人口、国土面積の広さ。オリンピックまで万博までで、あとは崩壊するのでないかという話を聞くが、ありえない事だ。中国共産党、この政治体制は人材の育成を次々にきちんとやっている。
  夜7時。もう暗い。
  中国外交部前副部長、現共産党外交部の責任者戴氏招待の夕食会。
  場所は釣魚台(ちょうぎょだい)5号館。
  明るい、凄いしつらえの部屋と料理。
  矢野団長が外務副大臣の時の副外交部長で旧知の間柄。戴氏は外交の責任者とは思えない程のおだやかな雰囲気の人で靖国とまでは言わないけれど譲れない一点、一線があり、あとは全て話合い出来る。未来永劫に日本と協力して行かねば両国の発展はないと言われた。
  宮本大使の話とよく似ているなあと思った。
  帰り際に一人一人と握手されたから、僕の郷里は富山県で松村謙三先生の出身地の隣り町、今は合併して同じ市と言うと、びっくりして固い固い握手をされた。やっぱり松村謙三先生の事はしっかり知って居られるなあと思った。
  しかし、日本人は中国人の5,000年の歴史、文化を沢山の作家、小説家の作品などを読んで割合いによく知っているけれど、中国の人は日本2,000年の歴史をよく知らないのでないか。昭和の80年か日清戦争後の100年程の事しか勉強してないのでないかと思った。
  日本の外交戦略の失敗でないかという悪い考えもした。どんなもんかナ。
  中国の為政者は非常な緊張感を持って居られるようだ。
  我々も日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争(支那事変)、太平洋戦争の事について、その意味、国の意志についてよく勉強しなければならないと思った。
  そこが日本の近隣外交の考え方、靖国問題も含めたあり方の基になるのでないかと思う。
  久しぶりの北京飯店での宿泊。明日は早いから早く休もう。中国は奥の深い国だと感じる。

 8月26日(土)
  午前5時起床、5時半バッゲージダウン。7時30分空港、8時30分出発と予定を変更。
  普通のスケジュールより半日早い。
  何と、空港に着いたら管制塔のアンテナか無線かの故障で、3時間遅れ。
  約局、成田に着いたのは午後3時。予定の便だったら夜半に到着とか。
  やっぱり北信越ブロックの党大会には出席出来なかったナ。
  日本に着いたら、結構疲れていると思った。トランクは直ぐ空港から家へ宅急便にした。


■平成研研修会 ―(T)(H18.8.11)

 清和会(森派)、志師会(伊吹派)の研修会は夏の間に懇親行事も入れて軽井沢で開いたとか開くとか聞いているけれど、我々の派閥は何故か東京で半日の開催。
  昨日午後2時から、六本木の国際文化会館「大ホール」で衆、参の、議員殆んどの人が集まって開かれた。
  国際文化会館は江戸時代多度津藩主の江戸屋敷。維新後井上馨邸。後、変遷があり岩崎小弥太邸となり、戦後は国有地となったもので岩崎小弥太の時代に名造園家京都の「植治」こと7代目小川治兵衛の作庭による港区の名勝。立派な所があるものだと思った。
  津島会長の挨拶は
@政策集団としての力をつける事が大切で伊藤政策局長を中心に提言をまとめていただいた。
A総裁選について役員で話をし、昨日国外出張から帰国された額賀防衛庁長官とも話をしている。
B今、国民は三つの懸念を持っている。ひとつは地方税と国税の割合、特に法人二税は1:3から1:7になっていること、次は個人所得の格差の拡大。保障を如何するか、その担保を如何するか。三番目に原油の高騰である。
この解決に向わねばならない。
「なる程なあ」と思ったが、タイムリーな派閥の長として総裁選を日本の為にどう運ぶか、という切迫した話がなくて、理性が立ちすぎた中味の感がある。態と逃げられかも知れないなあ。
一寸期待はずれ。
  軍事アナリスト小川和久氏の「日本の軍事力の真実」―日本は北朝鮮を軍事攻撃出来るか―と全国知事会会長の福岡県知事、麻生渡氏の「地方分権改革で地域に活力を」の講演が質疑応答を入れて各一時間づつ。
  16時30分から「外交政策と安定保障」石破先生、「 成長戦略と財政再建」田村憲久先生、「行政改革と地方分権」小池正勝先生の三部会担当者の政策提言があり、勉強になったし、面白い提言もあった。
  派閥としてはこの提言を基に各々メンバーが勉強して行くという事なのか、と初めて派閥の研修会を経験した者として感じた。
  その内でヘエー。なる程。面白いなあと思った事を幾つか挙げると、
@危機管理の基本的スタンスは「事実」と「データー」に基づく「科学的な捉え方」が要るのに日本の議論は感情が入って非科学的である。
A雇用情勢には東京:愛知と比較して地方圏で酷い所によると有効求人倍率は4倍の開きがある。
B特殊出生率は全国1.25だが東京は0.98で最も高齢化少子化が進んでいる。
C平成12年対平成17年の人口増減率は東京4.2%プラスで他はマイナス。大都市圏で一極集中が進行している。
D省庁の再々編成もいるのでないか。
E国と地方の税収を1:1とする。
Fふるさと課税の導入(住民税の一定割合を現住所でなく生まれ育ったふるさとに納付すること)→僕は先にこの部会でのフリートーキングの時選挙権も本籍に置くことという程のアット驚く事をやらねばならないのでないかと提言したら「なる程」「少しやり過ぎでないか」という人もいた。
G 公務員の福利厚生の見直し。
  まだあるようですが一寸気のついたものだけ列挙しました。


■平成研研修会 ―(U)(H18.8.11)

研修会第二部は立食パーティー。
  青木参議院自民党会長、久間総務会長、額賀防衛庁長官、小坂文部大臣、松田国務大臣のあいさつがあり、各々の立場で微妙な話があり、感心した。
  額賀長官からは海外旅行中もいろいろ考えたし、今日も津島会長や青木、片山先生等と相談している。もう一寸時間と知恵を貸してほしい、という話があり。
  一寸やる気の期待が持てるか、駄目か、難しい所だなあと思った。
  本当は皆でしっかり推せば出馬されて、結果はどうあれ、NO.2のポストはこの村に来るかも知れんし、次の機会もあるのでないか。一人一人が私利私欲なく国、村の為にどうあるべきか考えればいいのに。いや考えてあるのだろうなあ。小生みたいな新米の者が言う事ではないかナ。
  パーティー終了後、二之湯さんと一緒の車で宿舎に向った。


■ボーイスカウト日本ジャンボリーに参加して(H18.8.4)

 
一昨日朝8時30分からの県庁前のボーイスカウト県連のジャンボリー結団壮行式に出席して、直ぐ上京。
  自民党大島支部の皆様の訪問を受け、次に魚津市の来年の重点要望事項の陳情があった。
  三日の朝は、以前に国会のBS振興県議連会長の斉藤斗志二元防衛庁長官から「河合さんは三日夕方5時までにユニフォーム姿で能登の珠洲市へ来て地元の石川県知事の招宴と開会式に出て欲しい」との態々本人からの電話があったので、ジャンボリーに出るべく直ぐに富山へ。
  10時からの県遺族会の長岡墓地の慰霊祭に出席してから、事務所でユニフォームに着替えて、能登へ車で走る。4時に着いた。富山県連の派遣団長の川田啓雄氏と会う。一緒に県派遣の七個の隊を激励に廻った。
  昔、何度もジャンボリーに行った事を想い出した。一廻りする内に長野県連の副理事長西尾氏に会い、松本市の犬飼氏(長野県連理事長)にも会った。今、長野県連選出の日連の評議員をされていて昔一緒に現場で汗をかいた仲間だ。まだ元気にやって居られるなあと思った。
  開会式会場へ行く車の中で現在、香川県連盟長の松平頼武氏にお会いした。35年前父上の松平頼明氏の所長の下で富山の有峰でのウッドバッチ研修所の所員をした事があると言ったら驚いておられた。僕は親と子があまりにも似て居られるのに驚いて35年前にタイムスリップしたような気がした。
  谷本知事の招宴は開会式の前なのでウーロン茶の乾杯で始まった。ユニフォーム姿の国会議員は僕の他三名で、文部科学副大臣の馳先生は地元では文部科学大臣代理で祝辞を読まれた。僕がユニフォーム姿で居たので「君もボーイスカウトをしていたのか」と驚いた様子。
  五日には皇太子殿下も来られて、森喜朗先生もご一緒と聞いたけど、その時は斉藤先生、塩谷立先生、望月義夫先生と僕の泊る所がなくなるので僕たち4名は開会式の三日出席となった様だ。
  開会式は夕方七時から海岸で海の風も吹き、月も出て、いい感じのセレモニーで良かった。
  この二万人も集まったボーイスカウトの人達、お世話をする人達、このボランティア、奉仕の心が、自然を大切にする心が今の日本には絶対に必要なのだとしみじみと思った。
  それにしても、今までの日本ジャンボリーは日本の中央部もしくはそれに准じた所で行なわれたものだけれど石川県には申し訳ないが能登半島の尖端の珠洲市で行なわれて、交通の便を心配したけど立派な道路が出来ていて大成功で一寸びっくりした。

   

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