かわい常則 自由民主党 かわい常則
日本再生は地方から
トップページへ戻る
決意・思い 政策について プロフィール 後援会について えびすレポート 活動報告 国会報告 リンク集

プロフィール

町議会議員の時代

 とうとう27才で町議に立候補して小選挙区定数7名の所を10名で戦い、2位で当選出来ました。妻・朋子の実家の父、金田健治氏は3位で当選。申し訳ない気がしました。初めて、被選挙権を持って最初のチャンスでの挑戦なので、自分でも驚きました。
 立候補する決意をした次の日、北日本新聞と富山新聞の記者が家へ顔写真を撮りに来られました。その時僕は「出る決意をしたけれど何をすれば良いのか、何が出来るのか判らん」と言ったら、その記者さんは二人共、「あんたが出て、議会で坐るだけで、町の空気が変わり町の活性化になるんだよ」と言われました。その言葉に意を強くして「よしやろう」と思いました。
 告示の日、選挙事務所の大きな看板が、近所の中川文平さんのお宅に立つと、当時84才だった祖父がそれを見て(少し痴呆症が入っていたが身体は元気だった)「何や、坊や、お前、町会議員に出るがか。驚いたナ」と言いました。「俺もびっくりしとるがやちゃ。何せ頑張るちゃ」と言ったのを憶えています。

 投票前日、夜8時直前、街頭で最後の挨拶の時「皆に、これ程世話になって幸せ者でした。このご恩は忘れません。もう当落はどうでも良い気分です。皆様のお世話に感謝する気持ちを持てただけで充分です」と言いました。  特に選挙とは酷いもので、激戦であっただけに、あの気持ちは忘れる事が出来ません。今も「初心不可忘」で頑張ります。
 1期目は、小学校の統合と新築がありました。
 2期目の時は、監査委員をさせて貰い、大変な勉強と、体験をしました。監査委員の意見を附す決算書の『意見』は事務局まかせにせず、自分で書き、学識経験者選出の監査委員の方に見てもらって、作ったものでした。
 3期目の時は、前半2年間建設委員長をさせて貰いました。主要地方道城端―八幡線が国道304に昇格してから間もない時で、五箇山トンネルの陳情を本格的に始めた頃でした。役場庁舎の新築も想い出です。

 昭和49年8月31日、当時県議の山田伊作氏の後任に出馬予定の松井文吉さんが、オイルショックで経済環境が大きくかわりとても出馬出来ないと言われ大騒動になりました。
  私が松井選対本部事務長の予定だったのですが、とうとうスッタモンダの揚句、私に「出馬しろ」という事になりました。その返事を昭和49年11月23日に、場所は城端別院の新講堂でしました。心がふるえました。この頃は、これで3期もしたから町議をやめて、砺波市へ店舗(支店)を出す事も考えようとごく内輪で話していた時ですので事業の計画は全て変更となりました。


                     かわい常則後援会事務所  略地図
【国会事務所】〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館213号室 TEL03(3508)8213(直通) FAX03(5512)2213
【富山事務所】〒930-0095 富山県富山市舟橋南町3-15 自由民主会館6階 TEL(076)441-3512 FAX(076)441-3502
【城端事務所】〒939-1867 富山県南砺市城端(野下)1413-8 TEL(0763)62-3828 FAX(0763)62-4013
                           e-mail:office@kawai-t.com

Copyright(C)2004. TSUNENORI KAWAI. All Rights Resrved.