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プロフィール

青春時代の後半

 昭和36年3月21日慶應の卒業式を終え、下宿も引き払い、夕方城端へ帰ってきたら、城端の連合青年団長の橋場宏四氏が僕の家で待っていました。「何や?」と思ったら、「昭和36年度の連合青年団長になれ。」と言う。「今、城端についたばかりなのに何言うとるがい。」と言って帰って貰いました。
 3〜4日かけて何人かの友人に様子を聞いたら、皆「やれ」と言う。とうとう引き受けました。その代わり人事に注文をつけ、故・杉本正氏(町議)や森田外治氏(前城端町助役)等にスタッフに入って貰うことにしました。

 連合青年団長に正式に就任し、町の教育委員会へ挨拶に行った折り、そこへ丁度総理府主催の「第3回皇太子(今上天皇)ご成婚記念海外派遣団員募集」の書類が来ていて、大上町教育長と木村町中央公民館長に「河合君、応募しろ」と言われました。どうせ「ダメもと」と思い願書につけて小論文を出すことをOKしました。今考えると赤面の至りの様な1200字の小論文を書き、当時の天冨町長が添削推敲して下さって、申し訳ない事ながら提出しました。
 県庁で英会話の試験と、教育委員会、社教関係者の面接があり、女性で高岡の榊原知文さん(後の市役所の部長)、男性で小生が選抜されて、県代表で海外視察に出かけることになったのです。非常にラッキーなことでした。
 昭和36年、まだ海外旅行が一般的でない時の9月30日出発、12月3日帰国。横浜から船で香港・サイゴンまで、あと飛行機でニューデリー・カトマンズ・ラホール・ラワルピンデイ・カラチ・ボンペイ・バンガロール・コロンボ・ダッカ・バンコック経由沖縄行きで那覇(当時占領下)、そして羽田着へ帰ってくる7、8ヶ国の訪問は大変勉強になりました。しかし帰国後は、県の社会教育課や青少年室の方と県内を100ヶ所程青年学級等の講師に歩きました。
 昭和36年、37年は家の仕事をいつするのかという程のもので、ボーイスカウトの隊長もしていましたので、すごい毎日だったと思います。

 昭和36年夏の富士山麓・御殿場でのボーイスカウトのアジアジャンボリーは水や荷物の事でトラブったので殊更忘れる事が出来ません。ボーイ隊隊長の三年間は、子供達が「キャンプの後で、学校のテストがある」と言うと、勉強とヤマのかけ方を教えてそれが当たるので、保護者から絶大な信頼を得たものでした。

  子供達からかけられた温かい言葉、先輩隊長から教えられた自己犠牲と責任の取り方、ものの決め方、判断の時期、行動のタイミング・・・、特に子供達から教えられる事が多く、勉強になりました。スカウティングでなければ、こんな勉強は身につかなかったと思っています。

 城端町には、大正9年から消防団の外部団体で「救護班」という消防庁長官表彰や、県警本部長等の表彰を何度も受けた珍しい若者の奉仕団体がありますが、これにも昭和30年から入り、昭和37年から40年までは班長もさせて貰いました。消防団と救護班は仲の良い関係といいながら、たまには張り合う所もありますので、救護班の責任あるポストに着くと消防団には入らなくなる傾向があります。祖父も父も消防団員で、特に祖父は消防組の時代の城端の筆頭小頭だったのに、僕にとっては珍しく、とうとう消防団へは入団しませんでした。

  昭和38年正月、ボーイスカウト日本連盟は、その年の夏にギリシアのアテネで第11回世界ジャンボリーが開催されるので、そのあと三週間ヨーロッパをバス旅行する日程で、日本からは125名の3ヶ隊を派遣する事を決定、発表しました。リーダーは北信越枠で2名、スカウトは富山県枠で2名という事も決められていました。スカウトは県内で選抜するとして、リ―ダ―は日本連盟が決めると言う事でした。
 富山県では誰か行きたい人が居た様で、事務局は承諾もなく僕を当て馬で何人かと一緒に書類を出したら、日本連盟は僕に決めて来ました。
  さあ、大変だ。お金が46万円も要る。とてもそんな金はない。断ったら、県内の他のリーダーが資金カンパしてやると言う。とうとう父は、大学へお金をかけてまともに出してやってないからその分は出すと言う事になって、デンマーク一泊、ギリシアのマラソンの丘でキャンプ二週間。あとバスでテサロニキ、スコピエ、ニーシュ、ベオグラード、ザグレブ、グラーツ、ウィーン、ミュンヘン、ベルン、ジュネーブ、パリ、ドーバー海峡を渡ってロンドン、グラスゴーで一泊して羽田の旅を、誇らしげに半ズボン・半袖の日の丸のついたボーイスカウトのユニフォームを着て、7月下旬から8月一杯にかけてボーイスカウトの高校生と共に旅行できて、いい経験をさせて貰いました。
 若い時に二度も長期の海外旅行の出来た事は、真に大きな、身についた財産となりました。
 そんな体験があったからか、昭和38年12月5日、妻・朋子と結婚して半年後、昭和39年6月、27才と5ヶ月の時、町議に出馬しろと皆から言われました。
 朋子の父も出馬している小選挙区で何と言う事か。逃げまわったがとうとう、告示二日前に皆の前で両手をついて出馬の決意をしました。


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