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| 高校生の時 福野高校は当時傘下に、庄川、利賀、井波、井口、城端、平、上平、福光、吉江、太美、福野、津沢と中学校を沢山持つ、マンモス校でした。当時の中学から高校への進学率は砺波地方で25%ぐらいだったのではないかと思います。厚歯の朴葉の下駄をはいて、布製の手下げカバンで通学しました。 私は部活に入らず、同好会の軟式野球の欣友会に入り、美術部にたまに行き、自分では目立たない、普通の生活をしていたと思っていますが、友達はどう評価しているやら。ただ一度2年生の時、現城端工業社長の尾田道明氏と大ゲンカをし、他人をバカにするものではない事を苦々しい程の思いで体験し、仲直りをした事を憶えています。 1年生の担任は国語の故・北堀先生。2年生の時は物理の得永先生。3年生の時は数学の一前栄太郎先生で、まだまだ沢山の先生方にお世話になりました。特に、3年生の進学の時はお世話になりました。
進路決定の時期に、一前先生には、7回も家に来ていただいて、父を説得していただきました。父も祖父も頑として進学は承知せず、叔父の浅井さんの説得も功を奏せず、「長男は進学しない方が良いのではないか」と言われてガッカリしたものでした。 母と姉の力添えで、先生の承諾を得て内申書をコッソリ出して貰い、父と祖父に内緒で或る有名校を受験できました。受験勉強の大事な時に10日間勉強せずにブラブラと諦めの毎日を過ごしましたので、受験の世話や泊まる世話をしていただいた姉の友達にも大変なご迷惑を掛けながら、見事、失敗しました。 卒業直後は、今考えると、精神的に今までの人生の中で非常にピンチの時でした。このピンチを救ってくれたのは、中学時代からの読書だったかも知れません。中学生の時、佐々木邦のユーモア小説をはじめとして、吉川英治の「宮本武蔵」、高校生の時友達と競争しながら「三国志」「新平家物語」、久米正雄や夏目漱石の一連のもの、志賀直哉、そして大仏次郎の「赤穂浪士」などを乱読したものでした。 夏目漱石の諦感に共鳴し、更に、それが「則天去私」につながり、3年生の進学を「如何にするか」の時も、町議に出る時の決意も自分の意志ではどうにもならない事を感じ、天、神に従い、私利私欲を捨て去る事を信条とする事になりました。 今もその事を大切にしています。 |
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