![]() |
![]() |
|
||
小学生の時 昭和18年4月幼稚園を修了、城端国民小学校入学。担任の先生は若い、小さな的池すずゑ先生。1年生の入学間もない5月のある日、祭りの気運も高まってきた頃、授業中あまりうるさくて騒いだ友達と廊下に立ちんぼさせられました。
一緒に叱られた友達は泣いたのですが、僕は悪い事をしたがやら、叱られたがやら、解らずにニコニコしていたら、先生が「河合君は恵比寿さんみたい」と言ったので、それが渾名になり、訛って後に「ベッサン」となって、今日に至ったという次第です。先生は今でも「カクシャク」としておられ、先日も「身体に気をつけて頑張れ」と電話をいただきました。いいニックネームをつけてもらったと感謝しています。 小学校1年生の夏休み中は、家では仕事もなくて、とても食べるものがないので、福光の祖母の家へ預けられていました。母のいる城端の家へ帰りたくて福光の坂本の家から毎日城端の都久波弥山を見ていたものです。 ある日、お祖母ちゃんの家で、パンツ一枚で昼食をとっていた時、熱いお湯を腿の上にこぼして火傷をし、福光町御坊町の山下病院で治療をしてもらいました。そこが水膨れになり、「ケロイドの跡が残るかもしれない」と医者に言われたのを憶えています。 祖母は僕をリヤカーに乗せて福光から城端まで歩いて河合の家へ来て、玄関の上がり口で母に両手をついて、頭を床に擦り付けていたのを憶えています。僕が悪かったのに、何でお祖母ちゃんが母に「すみません」と謝っているのかと思いながら、今でも、泣いて立場をゴマカシテいた自分と、母と、祖母のあの光景を忘れる事は出来ません。 国民小学校から城端小学校に名前が変わり、終戦2年目になると、成績表(通信簿)の中味、表現もかわりました。優、良上、良、可、不可からA,B,Cになり二通りで並記してありました。その中に別の学校生活の所見があり「明朗なるも過ぎて騒がしい時有。ノートの使用乱暴。考えている事は立派なものを生み出しています。しかし平常にそんな落ち着いた所はどこだろうとさがしても見つからぬような事です。・・・(略)」とあり、既に先生は今日の私の性格を見抜いておられたのかなあと思う所です。 |
かわい常則後援会事務所 略地図 Copyright(C)2004. TSUNENORI KAWAI. All Rights Resrved. |