かわい常則 自由民主党 かわい常則
日本再生は地方から
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プロフィール


ルーツ

 私の祖父「常次郎」は、日露戦争のときの軍曹で、福野町江田の中藪家から当時福野町梅ケ島にあった河合家・長女「ひな」と世帯を持ち、新家を作る事になりました。そして、城端町西上で「古物太物商」を始めました。それが有限会社河合呉服店・河合家のスタートです(明治40年(1907)10月20日)。

  本家の長男(祖母の弟)常治はその後、福野町の高や田畑を売り金沢市へ出て、私立金沢中学(現・金沢高校)を創立しました。現在の富山第一高校もその関連です。 父は三人姉妹の2番目で、明治42年11月17日生まれ、姉は幼い満1歳にもならない時に亡くなって、弟と二人兄弟の様に育ち、高等小学校を出て家業の呉服商を継ぎ、平成12年91歳で亡くなりました。
  30歳を過ぎてから徴用、軍隊にも行き、戦後は売るもののない中で苦労して僕たちを育ててくれました。
 父の弟・義徳さんは砺波中学で瀬島龍三さんや故片岡清一先生と同級生で、早大を卒業し、映画監督を目指したそうですが、祖父に大反対され、仕方なく断念し、当時も不景気で就職が難しく、金沢の親戚の中学の先生をしました。
  後に、福野農学校(現・福野高校)で英語の先生もしました。当時の同僚に知事もされた吉田実先生がおられました。後に高岡駅前末広町で金物店を営み、三協アルミ(株)の創始者竹中政太郎氏や娘婿で後に参議院議員になられた沖外夫先生にも親しくさせていただいて、昭和47年に若くして亡くなりました。叔父さんが亡くなった時から二、三年間は、父が非常に淋しがっていたのを憶えています。

 母は、福光町坂本の農家の成瀬久之・さとの四人姉弟の長女として生まれ、福光女学校を卒業して城端の河合家へ嫁ぎました。大変、字の綺麗な母であった事を憶えています。

 私たち六人の子供を産んでくれましたが、一番下の弟を産んでからは、その時代その時代での大病をし、僕が小学校6年生の時腸チフスに、中学生の時は結核になり、治って昭和45年からは腎不全を患い、人工透析をして10年間頑張り続け、65歳で昭和55年12月26日、大豪雪の始まりの日に亡くなりました。

 色の白い我慢強い母でした。昭和50年始めて県議選に出て大激戦の時、選挙運動の最後の日に、一緒に町の中を病の身体ながら歩いて皆に頼んでくれた姿を想い出すと涙が出てきます。

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